30日は宮城(みやしろ)ゲートから中房温泉までひたすら林道を緩やかに登ります。天気予報ではこの日が移動性高気圧に覆われて一番天気の良い日でした。予想通り大天井岳付近の稜線がくっきり見えました。約12km歩いて中房温泉に到着。年越しを燕山荘で過ごす目的の登山者でごった返していました。冬季期間は本館と別館それぞれの内湯と露天風呂のみ利用できます。登山者用の部屋は別館で、お世辞にも清潔だとは言えません。一般人と泊まる場合は注意が必要です。31日は薄暗い中出発し、第一ベンチ、第二ベンチ、第三ベンチ、富士見ベンチと丁度休憩したくなるタイミングで休憩場所が現れます。第三ベンチ、または富士見ベンチでそれぞれアイゼンを装着しました。合戦小屋からは木々の背も低くなり、まもなく森林限界になります。合戦小屋を過ぎて合戦尾根に上がると風も強くなり、強い時には風速15m程の風が吹いていました。先週の大山の風速20mオーバーを体感したメンバーにとっては大したことはなかったはずです。周囲は完全にガスに覆われ、稜線は全く見えなくなってしまいました。燕山荘直下の急坂を登り切り、裏面の冬季小屋からぐるりと回り込んでやっと燕山荘に到着しました。天候も良くなかったので燕岳の登頂は明日にして午後はゆっくり小屋で過ごしました。夕食には年越しそばと振る舞い酒が付いていて、何とか年越し感を演出していました。燕山荘グループ社長の赤沼さんの音頭で乾杯をしたのち豪華な食事をお腹いっぱい頂きました。夕食後には小屋のメンバー紹介と燕岳の見どころをTVモニターの画像を使って説明をしていただきました。大晦日のみ通常の消灯時間は21時の所、24時まで延長されていますが、ほとんどのメンバーは疲れた影響で21時には寝てしまいました。元旦日の出が見える気配もなかったので明るくなってから燕岳に向かいました。風速10~15m程の風がひっきりなしに吹いているのと、標高が高い影響でなかなか足が前に出ませんでした。燕岳山頂付近で一瞬青空が見えたので、期待を込めてツェルトを被りながら待機しましたが結局晴れることは有りませんでした。行きがけには気が付かなかったイルカ岩は帰りの方向からはしっかり確認できました。ただしイルカというより冷凍マグロのように見えました。昼前の時間は小屋前の吹き溜まりでツェルトを被ってお湯を沸かしてみたり、半雪洞を掘ってみたり、ビーコン捜索の練習などをして楽しく有意義に過ごしました。午後2時から餅つき大会が行われると言うことで参加しました。餅つきは連続して2回行われ、それぞれ1個はきな粉やあんこ、醤油でつきたてのお餅を頂けました。餅つきの途中で大天井岳方面の蛙岩(ゲーロ岩)付近でビバークして動けなくなっている遭難者がいると別の登山者から小屋の方に救助要請がありました。通報者の方と翌日の別の登山者の方の話によると大天井の冬季小屋でガス切れになり、前日の14時に燕山荘を目指して出発したが、タイムオーバーになった上、手袋とマットを飛ばされた状態でのビバークになったそうです。手足が凍傷になり自力では歩けないので暖かい飲み物と防寒着を与えて来たとの事。餅つきが終わった頃に小屋の方と一緒に遭難者は救助されて戻って来ました。時間的に結構小屋に近かったのかもしれません。後遺症無く回復される事を祈るしかありませんでした。2日は予報では朝のうち天気が良いとの情報があり、日の出を見る為に早めに出発の準備をして小屋の前に出ました。完全に稜線上部でしたが、薄いガスの中に何とか太陽を拝む事が出来ました。合戦尾根を下山中に救助ヘリ(やまびこ)が何度も小屋に近づいては戻ったりを4回程繰り返していました。合戦小屋上部で長野県警の山岳救助隊の方が5~6名登っていっていました。結局ヘリは着陸できなかったようでした。合戦小屋からはアイゼンの良く効く斜面をテンポよく下山しあっという間に中房温泉に到着しました。今回の山行では稜線上で晴れなかったのが残念でした。一瞬でも槍ヶ岳を見たかったです。しかし行動出来ない様な悪天候にはならず、山頂も踏めたし山小屋ライフも満喫できたので、総合的には満足できた山行でした。餅つき大会の時に手袋を持って出なかったのですが、手袋がないと1分も我慢できず、マイナス15度の強風下では装備の紛失が生死にかかわると身をもって感じる事ができました。